お正月休みも、もうすぐ終わりが近づいてきました(≧ω≦)みなさん良いお正月休みになったでしょうか?
私は1月2日に静岡から遊びに来た友達と上野にいきました♪
国立博物館と動物園を一気に回るハードスケジュールな旅(笑)
実は静岡の人はだいたい、小学生の修学旅行で東京にいったりします★
国会議事堂や上野にいくのが多いようで、私も修学旅行で国立博物館にいきました♪
ずいぶん、中が新しくなったようですが、いやはや懐かしい(笑)
見覚えのあるたたずまい♪
実は小学生の修学旅行は母に引率してもらったのですが、今は自力でこれるのだから私も立派になったもんだ(●^ー^●)
ところで、上野動物園といえばパンダさんがいることで有名でしたが、実は昨年、上野のパンダさんは亡くなってしまいました、、、。
私は昨年の夏にも実は上野動物園を訪れていて、そのときはまだパンダさんがいましたが、それが最後の姿でそれからすぐにテレビでパンダさんが死んでしまったとニュースで知りました。
みんなの人気者だったパンダさん★
いなくなってしまったのは、寂しいです。
でも、パンダさんは生きている間にどれくらいの人にその姿で安らぎを与えてきたんだろうか?
数えきれないほどの人に感動と安らぎを与えてきたのだと思うと、なんてステキな命なのだと感動する。
使命を果たし切ったパンダさん。
素晴らしい命の姿をありがとうと心の中で思いました。
人間もパンダさんに見習いたいと思ったりする(笑)
姿が、かわいいとか奇麗だとか、そういう意味じゃないですけど、、、
命というのは、存在しているだけでも、必ず世界に大きな影響をもっているのだということです。
自分がどう振る舞おうと、どう生きていこうと、それが自分以外にはなんの関係もないと思うのは愚かなことだと私は思ったりします。
バタフライエフェクトとという言葉があります。因果の理法、原因があり結果が備わっているというのを教えるための言葉なのですが、、、一匹の蝶がはばたくと、地球の裏側で嵐が起きることがあるというのです。小さな蝶々の羽ばたきですが、小さな因が大きな結果を生むのです。
私は一匹の小さな小さな蝶だから、私の生き方は世界になんの関わりもないのだ、、、そんなふうに思うのは無知というものかも知れません。
私の生き方がすべて世界に影響をもたらすのです。
私たち人間は、一人、一人、そのことを自覚してゆくべきかもしれない。
朝、笑顔で挨拶した人が、私の「おはよう」のたった一言で、「今日も1日、生きてみよう」と思えるかもしれない。
私の生きる姿が誰かを励ますかもしれない。
私の歌う歌が、誰かの心の支えになるかもしれない。些細なことが人を救い、世界を変える。
逆もまた言える。私の悲しい顔、怒った顔、誰かが苦しんでいるかもしれない。今日、捨てたゴミがどれくらい環境を破壊したのか、今日、食べたご飯がどれだけの犠牲の上にあったのかも、、、。遠くの国の戦争も、私の生きている社会が影響している。
がんじがらめに生きていくという意味ではないけれど、私たちは自分の生き方が与えていく影響を自覚していくべきではないだろうか。
生きているものは全てつながっている。孤独で自分は無意味な存在なのだと嘆いても、命はみんな同じ線の上でかかわり合いをもっているのです。
だから、世界をかえたいならば自分をかえるしかない。
私は、未熟者だし、全て正しく生きていくのは人間なので難しいかもしれません。それでも、自分のためだけでなく、誰かのためにも正しい道を歩き、希望の存在になっていく努力を忘れたくはありません。
私の生きる姿がで伝えられることがたくさんたくさんあると信じているからです。
これは、芸能人とかスポーツ選手とか政治家とか、だれもが知っている特別な存在の人に与えられた使命ではありません。
生きとし生けるもの全てに与えられた使命です。私も貴方もみんな選ばれています。
自分の周りの人を愛しぬき、幸せにしていくこと。出会う人に親切にする事。当たり前の小さなことですか?それとも、そんなことはこんな社会じゃ綺麗ごとだといいたいですか?
いろんな人がいると思います。
でも、私は価値を創造して生きることに大きな意味を感じます。実戦することに大きな使命を感じます。
私には使命がある。
私の生き方をもって、証明し実戦すべきこと。
私の生きる価値は無限に広がっていると信じます。
今、生きている一瞬一瞬すべてが世界の大きな一つの力であり、希望の光のひとすじになりうる存在なのだと信じます。