初心忘れず
ふと、最近、反省したことがありました。
「初心忘れず。」とよく言いますが、本当に大事なことだと思います。
自分自身の音楽の出発点がどこにあったのかと言うこと。
長い時間の中で、
気づいてみたら、もみくしゃにされてしまって、へし折れつつあった想いが、私の中にもあったように思う。
苦節、挫折、停滞を繰り返しても、それでも絶対に辞めないと言うことだけが、私の最後の砦だったように思う。
そんな中、いつしか、「どんな形でもいいから、歌い続けていたい。」という願いに執着していた自分に気付き始めていた。
でも、今は、反省している。
私は、もっと上を目指さなければいけない。
もう一度、自分の原点にもどり、自信を取り戻さなければ、この先へは行けないのだと言うことだ。
積み重ねてきたことを過去の産物ではなく、未来の糧にすること。
私は、四面楚歌なんて歌わない。
きっと、これは、始まりの歌なんだ。
それをもう一度、自分に刻まなければならないと。
最近、そんな事を思った。
文豪 吉川英治さんの「宮本武蔵」は巌流島の決闘で締めくくられる。 そして、最後の一文。 「波騒は世の常である。 波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を、水の深さを。」 と。 名文ですね。 百尺下の水の心を知る者は、ほんのひと握りであるのが、世の常である。 、、、しかし、ほんのひと握りだからこそ、百尺下で水の心を得る事は、得難く、又、尊いのだと言うことか。 「波に戯れ騒がしい水面は、一見、楽しげに見えるだろうが、、、人生は、百尺下まで深く潜らなければ、つまらんぞ、あきさんや。」 私は時々、おっさんみたいに、自分自身にそう言う(笑) 基本、心の中は5歳から、ずっとおっさんだからw 自分らしく、頑張れ、私。
私なら できる。
しぶとくて、頑固なのが取り柄です(笑)
「初心忘れず。」とよく言いますが、本当に大事なことだと思います。
自分自身の音楽の出発点がどこにあったのかと言うこと。
長い時間の中で、
気づいてみたら、もみくしゃにされてしまって、へし折れつつあった想いが、私の中にもあったように思う。
苦節、挫折、停滞を繰り返しても、それでも絶対に辞めないと言うことだけが、私の最後の砦だったように思う。
そんな中、いつしか、「どんな形でもいいから、歌い続けていたい。」という願いに執着していた自分に気付き始めていた。
でも、今は、反省している。
私は、もっと上を目指さなければいけない。
もう一度、自分の原点にもどり、自信を取り戻さなければ、この先へは行けないのだと言うことだ。
積み重ねてきたことを過去の産物ではなく、未来の糧にすること。
私は、四面楚歌なんて歌わない。
きっと、これは、始まりの歌なんだ。
それをもう一度、自分に刻まなければならないと。
最近、そんな事を思った。
文豪 吉川英治さんの「宮本武蔵」は巌流島の決闘で締めくくられる。 そして、最後の一文。 「波騒は世の常である。 波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を、水の深さを。」 と。 名文ですね。 百尺下の水の心を知る者は、ほんのひと握りであるのが、世の常である。 、、、しかし、ほんのひと握りだからこそ、百尺下で水の心を得る事は、得難く、又、尊いのだと言うことか。 「波に戯れ騒がしい水面は、一見、楽しげに見えるだろうが、、、人生は、百尺下まで深く潜らなければ、つまらんぞ、あきさんや。」 私は時々、おっさんみたいに、自分自身にそう言う(笑) 基本、心の中は5歳から、ずっとおっさんだからw 自分らしく、頑張れ、私。
私なら できる。
しぶとくて、頑固なのが取り柄です(笑)
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